愛犬を家族に迎えた多くの飼い主さんが、一度は直面するのが「避妊・去勢手術」という選択です。「手術を受けさせるのはかわいそう…」「本当に必要なの?」と、悩むのは当然のことです。しかし、この手術は望まない妊娠を防ぐだけでなく、愛犬を将来起こりうる様々な病気から守り、ストレスを軽減させるという、非常に大きなメリットがあります。
犬の寿命が延びている今、シニア期をいかに健康に過ごせるかが、愛犬と飼い主さん双方の幸せに直結します。そのためには、科学的な根拠に基づいたメリットとデメリットを正しく理解し、愛犬にとって最善の選択をすることが重要です。
この記事では、獣医師監修のもと、避妊・去勢手術に関するあらゆる疑問に、専門的かつ分かりやすくお答えします。
この記事でわかること
- 避妊手術と去勢手術の具体的な内容の違い
- 手術によって予防できる命に関わる病気
- 知っておくべきデメリットと、その対処法
- 手術に最適な時期と、かかる費用の目安
- 手術当日の流れから、退院後の自宅でのケア方法まで
そもそも犬の避妊・去勢手術とは?
まず、オスとメスで手術の内容が異なります。それぞれの基本的な知識を確認しましょう。
メスの避妊手術(Spay)
お腹を開けて、卵巣のみ、または卵巣と子宮の両方を摘出する手術です。これにより、発情(生理)がなくなり、妊娠することができなくなります。また、女性ホルモンに関連する病気のリスクを大幅に減らすことができます。
オスの去勢手術(Neuter)
精巣(睾丸)を包んでいる袋(陰嚢)の皮膚を少しだけ切開し、左右の精巣を摘出する手術です。メスの手術に比べて傷が小さく、体への負担も少ないのが一般的です。男性ホルモンに関連する病気の予防や、性的なストレス・問題行動の抑制に繋がります。
後悔しないために知るべき手術の4大メリット
「かわいそう」という感情の前に、手術がもたらす科学的に証明されたメリットを知ることが、後悔しない選択への第一歩です。
1. 【メス】命に関わる病気を高確率で予防できる
メスの場合、避妊手術で予防できる病気は、特に命に直結するものが多く含まれます。
- 乳腺腫瘍:犬の乳がんです。犬の腫瘍の中で最も発生率が高く、その約半数が悪性(転移するがん)と言われています。しかし、最初の発情が来る前に手術を行うと、発生率を99.5%も抑制できます。発情を繰り返すたびに発生率は上昇するため、早期の決断が重要です。
- 子宮蓄膿症:子宮の中に細菌が感染し、膿が溜まる非常に危険な病気です。未避妊のシニア犬に多く、気づいた時には重症化しているケースも少なくありません。子宮が破裂すれば命を落とす可能性もあるため、子宮を摘出する避妊手術は最も確実な予防法です。
- その他の生殖器系の病気:卵巣腫瘍や子宮内膜症といった病気のリスクも完全になくなります。
2. 【オス】シニア期に多い病気やトラブルを予防できる
オスの場合は、加齢とともに出やすくなる様々なトラブルを防ぐことができます。
- 前立腺肥大:未去勢のオスは、シニアになるとほぼ100%前立腺が肥大します。大きくなった前立腺が腸を圧迫し、排便が困難になる(しぶり腹)ことがあります。
- 会陰ヘルニア:前立腺肥大に伴い、排便時に強く力むことで、お尻の周りの筋肉が裂け、そこから腸や膀胱が飛び出してしまう病気です。
- 精巣腫瘍・肛門周囲腺腫:精巣や肛門周りにできる腫瘍を予防します。
3. 性的なストレスや問題行動を軽減できる
発情は犬にとって本能的な行動ですが、現代の家庭環境では満たしてあげることが難しく、大きなストレスの原因となります。
- メス:ヒート(生理)中の出血や、偽妊娠(妊娠していないのに、お腹が大きくなったり母乳が出たりする)による体調不良や精神的な不安定さをなくすことができます。
- オス:他の犬へのマウンティング、マーキング(室内での粗相)、発情期のメスを求めての脱走や遠吠え、攻撃性の高まりといった問題行動が、男性ホルモンの影響で起こることがあります。去勢手術により、これらの行動が緩和・改善されることが期待できます。
4. 望まない妊娠を防ぎ、社会的な責任を果たす
万が一の脱走や、ドッグランでの予期せぬ交配など、意図しない妊娠のリスクを完全になくすことができます。これは、不幸な命を増やさないという飼い主としての重要な社会的責任です。
知っておきたい手術のデメリットと注意点
もちろん、手術にはデメリットや注意点もあります。事前に理解し、対策を考えましょう。
- 全身麻酔のリスク:どんなに安全な手術でも、全身麻酔のリスクがゼロになることはありません。しかし、現在の動物医療では、事前に血液検査やレントゲン検査などを行い、個々の犬の健康状態をしっかり評価した上で麻酔をかけるため、リスクは最小限に抑えられています。
- 太りやすくなる(肥満傾向):手術後は性ホルモンの分泌がなくなることで基礎代謝が約20~30%低下し、太りやすくなります。今までと同じ食事量では肥満になる可能性が高いため、術後の体重管理が非常に重要です。獣医師と相談の上、避妊・去勢手術後の犬用のフードに切り替えたり、食事量を調整したりする必要があります。
- 繁殖できなくなる:一度手術をすれば、元に戻すことはできません。愛犬の子どもを望む場合は、手術はできません。これは生涯に関わる重要な決定です。
- 手術による身体的負担:手術である以上、痛みやストレスは伴います。術後は数日間の安静と、飼い主さんによる丁寧なケアが必要です。
【飼い主必見】避妊・去勢手術の実際
いざ手術を決めた際に、飼い主さんが具体的に知っておくべき実用的な情報です。
最適な手術時期はいつ?
一般的には、最初の発情が来る前の生後6ヶ月~1歳頃が推奨されています。乳腺腫瘍の予防効果が最も高いのが大きな理由です。ただし、犬種(特に大型犬は骨の成長を待つ場合がある)や個体の成長具合によって最適な時期は異なるため、かかりつけの獣医師と相談して決めましょう。
費用はどれくらいかかる?
費用は、動物病院、犬のサイズ(体重)、手術の内容(メスかオスか)によって大きく異なります。あくまで目安ですが、以下を参考にしてください。
- オスの去勢手術:約20,000円~40,000円
- メスの避妊手術:約30,000円~60,000円
重要:この費用に、術前の血液検査、麻酔代、痛み止めの薬、術後のエリザベスカラー代などが含まれているか、事前に必ず確認しましょう。自治体によっては助成金制度がある場合もありますので、お住まいの地域の情報を確認してみるのも良いでしょう。
手術当日の流れと入院について
一般的な流れは以下の通りです。
手術前日:夜ごはん以降は絶食・絶水(病院の指示に従う)
手術当日:午前中に預ける → 術前検査 → 麻酔 → 手術(30分~1時間半程度) → 麻酔から覚醒
退院:当日の夕方~翌日。日帰りか1泊入院かは、病院の方針や犬の状態によります。
愛犬のために。術後の過ごし方とケア
無事に手術が終わっても、完全に回復するまでは飼い主さんのケアが重要です。
- 食事管理:退院直後は消化の良いものを少量から。その後は獣医師の指示に従い、徐々に術後用のフードに切り替えていきましょう。
- 傷口のケア:最も大切なのは、犬に傷口を舐めさせないこと。舐めると傷口が開いたり、感染を起こしたりします。エリザベスカラーや術後服を必ず着用させましょう。通常、7日~10日後に抜糸(または傷のチェック)があります。
- 運動・散歩:抜糸までは激しい運動は避け、室内で安静に過ごさせます。散歩は短い距離のトイレ程度に留めましょう。
- こんな時は病院へ:傷口が赤く腫れていたり、出血や膿が見られたりする場合、元気や食欲が全くない状態が続く場合は、すぐに動物病院に連絡してください。
犬の避妊・去勢に関するよくある質問(Q&A)
Q1. 手術をすると性格がおとなしくなりすぎるのが心配です。
A1. 性ホルモンの影響による攻撃性や興奮(マーキングやマウンティングなど)は落ち着く傾向にありますが、その犬本来の甘えん坊な性格や遊び好きな性格が失われることはありません。むしろ、性的なストレスから解放されることで、より穏やかで飼いやすくなったと感じる飼い主さんが多いです。
Q2. シニア犬(高齢犬)でも手術はできますか?
A2. 年齢が上がると麻酔のリスクは高まりますが、できないわけではありません。例えば、子宮蓄膿症など病気の治療のために、シニア犬が緊急手術を受けるケースは多くあります。健康状態が良ければ、予防的な手術も可能です。まずは精密な術前検査でリスクを評価し、獣医師と十分に相談することが重要です。
Q3. 手術をしないという選択肢はアリですか?その場合のリスクは?
A3. もちろん、手術をしないという選択も尊重されるべきです。その場合は、発情期のメスの管理(他の犬との接触を避ける、室内を汚さない工夫など)や、今回ご紹介したような病気の初期症状を見逃さないよう、日頃からの健康チェック(乳腺のしこり、陰部からの異常なおりものなど)と定期的な健康診断がより一層重要になります。
Q4. エリザベスカラーを嫌がるのですが、どうすればいいですか?
A4. エリザベスカラーは犬にとってストレスですが、傷口を守るためには必須です。物にぶつかりにくい布製や空気で膨らませるソフトタイプのものもあります。また、お腹の手術であれば、体をすっぽり覆う「術後服」を着用させることで、カラーが不要になる場合もあります。かかりつけの獣医師に相談してみましょう。
まとめ:愛犬の一生を見据えた、愛情ある選択を
避妊・去勢手術は、多くのメリットがある一方で、飼い主さんにとっては経済的・心理的な負担も伴う、簡単な決断ではないかもしれません。「かわいそう」という気持ちは、愛犬を大切に思うからこその自然な感情です。
しかし、将来的に命に関わる病気で苦しむ可能性を減らし、日々の性的なストレスから解放してあげることは、愛犬の一生を見据えた大きな愛情の形とも言えます。
この記事で得た知識をもとに、ぜひ一度かかりつけの動物病院で相談してみてください。獣医師は、あなたの愛犬の個性や健康状態に合わせて、最適なアドバイスをしてくれるはずです。最終的にどの道を選んでも、それが愛犬のことを真剣に考えた末の決断であれば、それが最善の選択です。